林です。
今回は林が投資を始めたきっかけを
書いていこうと思う。
林の社会人時代の幕開け
林が就職して初めて給料をもらったのは
確か24歳。
そう、林はストレートではないのだ。
林は初任給を母親のために
使うような人間ではない。
そう、林はマザコンではないのだ。
というより
親に何か買ってあげるなどという
考えは全く頭になかった。
確か総支給で25万。
手取りで19万程度だった覚えがある。
林の経済状況
林はお金の管理に無頓着だ。
かといって浪費家というわけではない。
どちらかといえば倹約家だと自負している。
当時の林は都内で
家賃7万円のアパートに住んでいた。
共益費が5000円くらいかな?
19万ー7.5万で12.5万円
光熱費は詳しく覚えていないけど
全部合わせても2万円程度かなと。
12.5万ー2万で10.5万円
部屋にネット回線も引いていたから
月5000円
10.5万ー5000円で10万円
当時のスマホ代が月8000円くらいかな
林が自由に使えるお金は
約9万円であった計算になる。
今振り返ると当時のスマホ代
どんだけ高かったんだよ。
ありがとう菅義偉元総理大臣。
林のお財布事情
当時の林は喫煙者だった。
一日10本のタバコを吸い
飲みにいくと一箱(20本)吸っていた。
この『飲みに行くと』ってやつは
喫煙者は全員言ってると思う。
当時タバコが一箱450円くらい。
月に2回飲みに行ったとしても
約8000円くらいは煙になっていた計算だ。
ちなみに林は今でもタバコへの未練はある。
タバコが健康に害がなくて
お財布にやさしい価格で
服に匂いがつかないなら
林は今もタバコを吸いたいと思っている。
9万ー8000円=8.2万円
林の食生活(外食編)
当時の林の外食といえば牛丼一択だ。
林は牛丼が大好きだ。
今も牛丼を時々食べに行く。
林が学生時代
松屋で280円で牛めしが食べられた。
しかも味噌汁までつくのだ。
すばらしい時代だった。
現在はすき家に乗り換えたものの
牛丼への愛は変わらない。
たとえ480円になってもだ。
(2025年5月現在)
林の食生活(自炊編)
林の自炊は米を炊くだけだった。
3合炊きの炊飯器で3号炊いて
残りはタッパーに詰めて冷凍していた。
ほとんどレトルトカレーだった。
ハウス食品のカリー屋カレー(辛口)。
時々ボンカレー。
野菜を食べていないと
罪悪感にかられる日もあった。
駅前の100円ローソンで
100円のサラダを買って
和風ドレッシングをじゃぶじゃぶかけて
野菜を摂取していた。
口内炎ができたときは
『野菜一日これ一本』を飲むと
すぐに治っていた。
林の当時の食費
当時の林の食費は
4〜5万円程度かな。
そもそも食費を計算したことがなかった。
呑みにいくときも
鳥貴族
餃子の王将
あたりが多かった。
あとは呑み放題がついている
リーズナブルな居酒屋くらいかな。
8.2万ー5万=3.2万
林の余剰資金
当時の林の余剰資金は3.2万円だった
今はじめて計算した。
当時の林は自分の給料を
多いとも少ないとも思わなかった。
なぜなら給料をもらっていて
お金が足りなくなったことも
お金がもっと欲しいと思ったことも
あまりなかった。
今振り返ると
お金をたくさん使うような
あるいは熱中できるような
趣味がなかったからかもしれない。
とにかく良い意味でも
悪い意味でも
お金に無頓着だった。
でもお金にだらしない訳でもない。
林が投資を始めたきっかけ
…といきたいところだが
林が投資にたどり着くのはまだまだ先だった。
もう少しお付き合いください。
会社の給料の振込先として
メガバンクで口座を開設した。
その時窓口のお姉さんに
『にーさ口座も開設して
お若いうちから資産形成を
していきませんか?』
とお話をいただいた。
林『にーさ…?』
この時林はNISAと出会った。
だが林はすぐに断った。
なぜなら地方出身の人間は
簡単に東京の人間を信じてはいけないと
小さい頃から育てられているからだ。
(嘘です。)
先に述べた通り
お金に無頓着な当時の林は
生活に必要なお金を使って
残ったものが貯金される。
これ以外に何がある?
こんな程度の金融リテラシーであった
こうして林はNISAとの出会いを
華麗にスルーしたのだ。
林の恋愛
就職して数年経った
こんな林にも人並みに彼女ができた。
年齢も少し上だった。
その頃お互い20代後半だった。
そう
結婚することになった。
林は意外と教科書通りの生き方なのだ。
20代後半くらいで結婚するんだろうな
なんて青写真を描いていた。
その当時同棲していた彼女も
林の妻となり
林になった。
結婚と転職とUターン
林は結婚してしばらくして
転職と地方移住を選んだ。
地方移住といっても
田舎へ帰っただけである。
いわゆるUターンである。
林の妻である林も
地方出身であったため
地方移住には反対しなかった。
幸い再就職先もスムーズに決まり
林は地方に戻った。
地方移住と子供
林はもともと地方出身なので
東京での暮らしには驚いた。
こんなに小さい小学生が
満員電車に寿司詰め状態で
通学していることに驚いた。
地方では田んぼの畦道を
道草を食いながら通学するのが
当たり前の光景だった。
なんとなく子育ては
地方の方がいいんじゃないかと思った。
移住して約1年くらいで
林に子供ができた。
林の住宅事情
地方にUターンしてからは
家賃6万くらいのアパートに暮らしていた。
間取りは2LDK。
築年数は経っていたが
そこそこ綺麗だった。
都内では考えられない条件かもしれない。
子供一人育てるには
十分な広さがあった。
しかし
林は戸建てを計画した。
これも今振り返ると不思議なのだが
林は強いマイホーム願望はなかった。
地方出身者あるあるなのかもしれないが
大人になったら家を建てるものだと思っていた。
ただそれだけだ。
そこで林は家を建てた。
住宅ローンと家計
住宅ローンの支払いが始まった。
フラット35で住宅ローンを組んだ。
賃貸の時には感じていなかったが
毎月10万円ほどの家賃を
毎月支払っていくのかぁ感に駆られた。
毎月の給料から10万円が自動的に引かれて
残りのお金で生活していくことになる。
今の生活はあまり変わらないが
子供が大きくなったら
習い事とか色々お金かかるんだろうな。
大学とか行ったら
どのくらいお金かかるんだろう。
なんてことを考えるようになった。
林投資を始める
お待たせしました。
ついに林、投資を始めました。
改めて林が投資を始めた理由は
子供の将来(90%)
ちょっと豊かな生活(9%)
ワンチャン大富豪(1%)
となる。
最近はあまり耳にしなくなったが
昔は学資保険なるものがあったらしい。
林が結婚して生命保険に加入したとき
ついでに学資保険についても話を聞いた。
しかし当時の学資保険は
子供が18歳になる頃に
積み立てた金額を下回る可能性もある
なんて説明を受けた。
林は学資保険の存在意義を疑った。
そして学資保険を諦めた。
今思えば投資だって
元本保証はされていないのだが。
将来貯金のほかに
子供に学資として備えたり
将来渡してあげれられる資金づくり
そこで林はNISAを選んだ。
林を後押ししてくれた言葉
NISAといえど
投資を全くしたことのない人間からすれば
お金をどこかへ預けて
『預けたお金が減るかもしれない』
ということが理解できなかったし
怖くてしかたなかった。
よくよく考えれば
『預けたお金が増えるかもしれない』
というのもすごい話だ。
そんな投資への不安を
後押ししてくれる一言があった。
それは…
『どんなに不景気になっても
どんな困難に直面しても
人類が豊かで便利に生活するための
テクノロジーの進化は止まらない。』
この一言が
林の投資への恐怖心をやわらげた。
残念なのは
この素晴らしい一言を
誰が言ってたのか
どこに書いてあったのかを
林は覚えていない。
だがこの一言が
今日の林が投資するモチベーションを
維持してくれていることに間違いはない。